【過去の記事】感動の場-点 2015/4~2016/3

まちの広報誌『広報くっちゃん』では、小川原脩作品の紹介ページ「感動の場 ー 点」を連載しています。
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2016年3月
『水道』 1984年  小川原 脩 画

 アジアの大地をめぐる旅。2度のチベット行を経て、1983年8月、72歳の小川原脩、チベット文化の原型を求めてインド北西部のラダック地方を訪ねた。ヒマラヤ山脈の南、3千メートルの高地では空気は薄く、高山病に苦しみながらもゴンパ(チベット仏教の寺院)の曼荼羅図と、その土地に人々の素朴な暮らしを見てきた。
 ラダックの集落で女性たちが井戸(簡易水道)に集まり、腰をかがめたり、子を背負いながら水をくんでいる。ゴツゴツとした岩肌がむき出しの乾燥した大地で、蛇口からの水を取り囲む。天気のこと、暮らしのこと、他愛ない世間話が聞こえてきそうだ。その背後にはロバが峠をこえて、別の集落へと向かっていく。これは、実際の風景をそのまま切り取った絵ではない。非現実的な事物の配置が生み出す空間と空気感。ロバの足元には緩やかな弧線が描かれ、大地を踏みしめて歩むさまを伝えている。
 これは、実際の風景をそのまま切り取った絵ではない。劇場の舞台のように、いくつもの場面を組み合わせたものである。現実にはありえない空間構成が、逆に真に迫るような実感を呼び起こす。この作品もまた、その土地でその空気に包まれたような感覚を私たちにもたらしている。

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2016年2月
『水牛のいる風景』  1979年  小川原 脩 画

 アジアの大地をめぐる旅。1979年6月、小川原脩は雨季さなかの中国・桂林を訪れていた。彼が描いた桂林の風物は、石灰岩地形特有の岩山、漓江の流れ、平屋の街並み、日用品のかめ、鶏、そして水牛である。
 風景の奥から手前へと視点を動かしながら見てほしい。薄曇りの空色につつまれて遠く背の高い岩山が見えている。次に、周囲は緑の木々に覆われながらも白い岩肌がむきだしの、これもまた大きな岩山がある。画面を上下に分けるように漓江が横切り、いちばん手前には水牛が一頭、その足元には水がめがひとつ。水牛はこちらに尻を向け、まるまるとした胴、くるりと振り上げた尾、ひょうひょうとした顔でこちらを振り返る。
 岩山の山頂と水牛の背骨。円い水牛の腹と水がめの肩。水牛の尾と水がめの取っ手。どことなく近いカタチの繰り返しがおもしろい。よく見てみると、もっと反復がみつかるかもしれない。小川原が好んで画面の中に隠した“秘密”である。

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2016年1月
『游』     1991年  小川原 脩 画

 「游(ゆう)」、あまり目にすることのない漢字であるが、その意味には「水上をおよぐ」「川の流れ」、そして「遊」と通じる「あそぶ、ぶらぶらする」という意味がある。
 この絵の中では、何があそんでいるだろう。温かみのあるピンク、オレンジ、イエローといった色が全体をふんわりと覆い、白い樹木のように見えるものが画面中央に縦に伸びている。その周りに小鳥たちが5羽、飛び回ったり休んだりしている。リズミカルに、自由に振る舞う小鳥たち、穏やかな時間が流れている。これは、優しい群れの姿である。
 1979年に中国・桂林へ、81年からはチベット、それから86年のインド・ウッタルプラティシュへの旅まで、小川原脩は断続的にアジアを訪れ、それぞれの旅ごとに新鮮な感慨を得ては、また倶知安での創作の日々に戻る。アジアの大地をめぐる旅を経験したことで、心のおもむくまま自由で優しい空間を描く、新しい創作のとびらを拓いた。

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2015年12月
『老人と犬』 1973年  小川原 脩 画

 1973年頃の小川原脩の主な作品は「群化社会」に代表されるような、無数の野犬たちが描かれていた。ところが、この作品では背後に群れとなって駆けてゆく犬たちが描かれているものの、中心は人物の肖像である。見事な白髪の髭に、大きな目鼻立ちの老人。真一文字に結ばれた口。眉を持ち上げ目を見開き何かを凝視している。赤、黄色、緑の明るい色彩が散りばめられた激しい背景とともに、大変力強い人物像となっている。
 この老人像には、実在のモデルがいる。小川原自身は誰かということは語っていないが、麓彩会の画家たちは「貫太郎さんだ」という。「貫太郎さん」こと笹谷貫太郎(1901-1978)氏は、岩内で親しまれた絵描きのひとり。小川原との関連でいうと、1966年の第8回麓彩会展から10年間ほど出品を続けていた。明らかに同一人物と思われる作品は他に3点あり、いずれも「老人と犬」という題が付けられている。なぜ、小川原は笹谷氏を描いたのか、この表情は何を物語るのか。画家の鋭い眼光は老いることはなく、小川原自身の視線も重ねたかのようだ。
 この作品をはじめ、小川原脩が描いた様々な<顔>。12/19(土)から開催の「小川原脩のまなざし<顔>」展で展示される。

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2015年11月
『森の入口の白い樹』  1978 年  小川原 脩 画

 白い樹木の葉はすべて落ち、季節は晩秋であろう。近づく来訪者に気がついたのか、キタギツネがこちらを振り向く。枝の上にはクマゲラが一羽に、シマリスが二匹。よく目を凝らしてみると、シマリスは頬袋をいっぱいに膨らませているようだ。 本格的な冬の訪れを前に、小動物たちは忙しなく動き回る。
 『森の入り口の白い樹』と題する作品は、1978~79年にかけて10点ほど描かれ、過去に当欄でも2点を紹介している。 いずれも、一本の白い樹と北国の動物たちが登場する。豪雪地帯の風雪に耐え、曲がりながらも枝を伸ばしたシラカンバのしなやかな姿を、小川原は「森の入口―歳月を経た古樹の生命力」と簡潔に言い表している。森の入り口、その向こうは野生の息づかいを感じる深い闇が広がる世界。古樹を慕い、敬い、守るように寄り添う動物たち。静寂の空間に神秘的な時間が流れる。静と動が一体となった、小川原ならではのリズムが感じられる作品である。

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2015年10月
『飛翔』 1977年作  小川原 脩 画
 
 濃紺の空と、淡い赤紅色の大地。はっきりと二分された画面には、大白鳥が描かれている。1960年代から70年代にかけて、小川原脩の主な題材となっている、馬・犬・大白鳥といった動物たち。それらの作品からは、動物たちの姿を通して「個と群れ」というテーマが投げかけられる。
 この作品もまた、離陸する飛行機のように角度をつけて飛び立ってゆく数羽の白鳥の群れと、大きく手前に描かれた一羽との対比が印象に残る。大きく翼をひらき、首を伸ばす様子は、群れを追って飛び立つ瞬間か、それともその場にとどまり群れの行く先を見送っているのか。白鳥の表情からその思いを読み取ることは難しいが、かえってそれが、観る者の心情をそのままに映し出すのではないだろうか。
 きりりと引き締まった構図に柔らかな羽を感じさせる、美しい作品である。

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2015年9月
『子どもと子犬』  1982年作 小川原 脩 画

 22センチ四方、画布の号数では1号のスクウェアと呼ばれる。油彩画にしては小さな小さな作品である。子どもと子犬が描かれていて、その画面は粗いキャンバス地の織目がモチーフの素朴さを引き立てている。街角で子犬と戯れていた少年が、伸び上がり飛び出して行こうとする子犬の肩をぱっと押さえる。そんな一瞬である。小川原 脩は1981年、82年とチベットを旅した。82年に描かれたこの作品も、小川原脩が旅したチベットで出会った何気ない日常の光景なのだろう。子どもの仕草への温かな眼差しを表すように、背景もまた温かな色で包まれている。
 小川原の描く小さな作品には、みずばしょう、桃の果実、パンジーなど身近な対象がシンプルにのびのびと描かれている。愛らしさが詰まった小振りな作品たちは、縁のあった所有者の手もとで愛でられてきた。この作品もまた、昨年度末に寄贈を受け新たに当館のコレクションに加わった。小さな作品ばかりを集め、もし自分の部屋に飾るなら…と皆さんに問いかけるような展覧会をひらいてみたい。

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2015年8月
『祈る女』 1983 年  小川原 脩 画

 薄く目を閉じた女性が合掌している。その頭上には細長い布の束がはためき、なにか文字のようなものが浮かび上がっている。これはチベットで使われている文字で“オムマニペネフム”と読み、訳は様々あるが「嗚呼、蓮華の中の宝珠よ永遠なれ」という意味の祈りの言葉なのだという。
 布の束は何を描いたものなのだろう。タルチョと呼ばれる五色の旗が屋根から屋根へ渡されてひるがえる様子は、チベットの寺院の写真などで見ることができるが、どうも形状が違っている。小川原脩の遺した蔵書資料を調べていると、1冊の写真集の中に、この布の束はあった。チベットの中心都市ラサに架かる「神様の渡る橋」に、祈りを捧げるためのおびただしい数の布が縛り付けられていた。
 1981年、82年とラサを旅した小川原は、祈りの布をなびかせる風を直に感じたことだろう。それまで強く意識したことのない「信仰とは何か」という新たな思いを抱きながら帰国した。

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2015年7月
『火山湖の犬』 
1970 年  小川原 脩 画

 6 月 13 日、小雨の降る中、今年も羊蹄山が山開きをした。 本格的な夏山登山のシーズン到来である。片道5時間、高低差 1600 m、倶知安に住む我々とっては、眺めるには身近でも、なかなか近くて遠い山ではないだろうか。
 火山湖とはその名の通り火山の噴火によってできた湖のこと。羊蹄山の麓にも火山湖があるー「半月湖」である。 小川原脩はこの湖を好んで散策したようで、「いいとこでしょう 好きな所ですよ」という言葉とともに半月湖周辺の白樺林を案内して歩く写真記事が残っている。
  1970年頃、小川原は透き通るような淡いブルーの瞳でこちらを覗く犬を、度々登場させている。犬たちは雪山から並んで顔を出すもの、たくらみを企てる男たちを見据えるもの、組合せはさまざま。この犬の見つめる先は、澄んだ湖面か、それとも…。

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2015年6月
『花と烏』   1941年  小川原 脩 画

「私は1941年頃からシュルレアリスムに関心を持ちながらも、次第に遠去かり始めた。個人の意思とは別に、私を取り囲むもの全てが、社会の一切が大きな圧力となって一つの方向に強く動いてゆく…」と小川原は述懐している。日中戦争から太平洋戦争へという時代、日本ではシュルレアリスム芸術運動が独自の高まりを見せていたが、それらは前衛的なものとして抑圧され次第に画家たちの自由な創作活動は制限されていく。
 小川原の作品も、北海道の原野の姿を題材にするなど北方的ロマンティシズムへと移り変わっていった。本作品の題材は庭先で目にするような草花と烏。特段変わったものは描かれていない。しかし、攻撃的な視線のカラス、自由に身をくねらせているようにも見える枝葉に不自然なほどつややかな実をつけたトマト、そしてなんといっても大輪のダリアの存在感が目を引き、これらが再構成された画面からは、異様な空気感が漂う。題材を変えたとしても、根底には「新たな創作」を求める若い画家の意欲があるようだ。 この作品もまた、昨年寄贈を受けたうちの一点である。

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2015年5月
『婦人像』   1942年  小川原 脩 画

 昨年度のこと、小川原夫人が長年手元に残していた作品が、当館に新たに寄贈されることになった。ご自 宅に伺って拝見すると、残存数の少ない 1940 年代に描かれた貴重な作品が複数あり、当時まだ若かった芸術家の繊細かつ勢いのある筆致に胸を打たれた。
 この婦人像は、31 歳になる小川原脩がシュルレア リスム絵画の先鋒として東京で絵筆を奮っていた頃に 描いた作品で、モデルは後に小川原夫人となるユキ氏 である。人形のようになだらかな体つきに対して、紅潮する頬や唇に生命力が宿る。濃い赤の背景に絡みつく暗色の植物の葉に対して、胸に添えられた淡いピン クのカーネーションの花。これらの対比が、相手の女性の内面まで深く理解しようとする画家の熱い視線を 反映しているように感じるのは私だけではないだろう。実際に対面すると、図版以上に女性の可憐さが際立つ作品である。ぜひ常設展でご覧いただきたい。

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2015年4月
『みずばしょう』   
制作年不詳  小川原 脩 画

 毎月 1 点、小川原脩の作品を紹介している『感動の場― 点』。このタイトルは小川原脩本人によって名づけられた。「点と点が結び付き合い、面として広がりを持つ。それは美術館という器がそうであってほしい」という思いが込められている。これまで紹介した作品は色紙やスケッチ含め 200 点におよび、有志の方によって手製の冊子にまとめられている。美術館で自由にご覧いただけるので、ぜひ手に取っていただき たい。
 今回紹介する作品は、雪解けが進むと同時にあらわれる早春の花、ミズバショウ。ミズバショウをモチーフとした作品は大きな作品から色紙まで、制作年代もさまざま、本欄にも過去 5 回登場しているが、まだ紹介していない「みずばしょう」があるほどで、特に好んで描いていることが伺える。この作品は 6 号という小品で、黄色の花部、白い苞(ほう)、葉を縁取る柔らかな線、背景に薄く纏うような淡い色の絵の具が、晩年の作品の特徴を思わせる。一点、一点、同じ題材でありながら、少しずつ変化を加え挑戦を繰り返し描く。比較的小さな作品には、大作には現れない遊び心が見られ、愛らしさが漂う。