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【過去の記事】感動の場-点 2020/4~2021/3

まちの広報誌『広報くっちゃん』では、小川原脩作品の紹介ページ「感動の場 ー 点」を連載しています。

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2021年3月
『無題』 1972年 小川原 脩 画
 
 小川原脩は、倶知安の市街地から望む山々のなかでも、作品にしたくなる造形美をひと際感じていたのでしょう、イワオヌプリを好んで描いています。20点近く描かれたイワオヌプリが登場する作品には、ニセコアンヌプリと並び聳(そび)える姿、その独特の山容と手前の丘陵地の光景、ごつごつとした岩肌のクローズアップなどがありますが、この作品は犬との組み合わせが面白い一点です。
 春を感じるほのぼのとした柔らかな色彩が、残雪から岩肌が見え始めたイワオヌプリを包み込みます。その手前に二頭の犬が。これはじゃれ合いの果てにケンカでもしているのでしょうか。牙をむき出しにして噛みつく犬、驚きと痛みとで目を見開いた犬、犬たちの表情がユーモラスに描かれています。作品全体が醸し出す朗らかな雰囲気に浸るもよし、犬たちに隠された物語性を見出すもよし、何度も味わえるおいしい作品だと私は思っています。

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2021年2月
『森の入口の白い樹』 1978年 小川原 脩 画
 
 先月に続き、「森の入口の白い樹」を紹介します。今回の作品では、白い樹とキタキツネたちが登場し、こちらをのぞき込むように大きく描かれたキツネの顔が印象に残ります。実は、この「森の入口の白い樹」シリーズは現在分かっている先月に続き、「森の入口の白い樹」を紹介します。今回の作品では、白い樹とキタキツネたちが登場し、こちらをのぞき込むように大きく描かれたキツネの顔が印象に残ります。実は、この「森の入口の白い樹」シリーズは現在分かっているだけでも1978年から翌年にかけて13点が制作されています。こういった同じテーマや題材に基づいて作品を作るスタイルは連作と呼ばれ、モネの「睡蓮」が有名です。
 よく似ているけれど、やっぱり違う…という連作のなかの一点が1978年の新聞記事に載っています。同年に東京・銀座で開いた個展で、この新しいシリーズを発表した時のものです。「以前はシャープとかクールとか評されたが、近ごろは優しく温かくなったと…。理由が見当たらないんだが、年をとったせいかもしれないな」と本人の談。小川原の画業をたどると、翌79年の中国旅行がアジアへの傾倒、深い精神性をたたえた穏やかな空間表現への大きな転換点として捉えられることが多いのですが、平らかで安らいだ精神性は、倶知安の自然に生きる動物たちに触れ、すでに小川原の中に醸成されつつあったのではないでしょうか。

森の入口の白い樹

森の入口の白い樹

2021年1月
『森の入口の白い樹』 1979年 小川原 脩 画
 
 白樺は倶知安で暮らす私たちには身近な樹木ですが、「シラカンバ、ダケカンバ、ウダイカンバ」の3種を区別せずに白樺と呼ぶことも多く、小川原作品に登場する「白い樹」も、はっきりとどの樹種かまでは分かりません。
すらりと真っすぐ伸びた形、あるいは風雪に耐えるようにどっしりと太くなったその姿かたちから、シラカンバかな、ダケカンバかな、と想像します。
白樺の幹が大きく描かれ、その枝の一本にフクロウが留まっている今回の絵。繊細な筆づかいによって、冠毛に沿って鋭く吊り上がる眼、がっしりと枝をつかむ爪が描き込まれ、さらに羽毛からは柔らかさまでもが伝わってきます。枝と幹を中心に濃紺をまとい、吸い込まれるような静寂の森が背後に続いているようです。闇夜にあって、輝く白い樹皮とフクロウという命あるものの息遣いは、強い存在感を見せています。
 馬・犬・オオハクチョウの作品を数多く描き「動物の画家」とも呼ばれる小川原脩ですが、森の息吹に包まれて北の自然に生きる動物たちにも、その温かなまなざしを向けていたのでした。

人・牛

人・牛

2020年12月
『人・牛』(素描) 1937年 小川原 脩 画
 
 小川原脩の蔵書は膨大で、美術館で譲り受けたもののうち美術や哲学、旅行記など、創作に関わる関連資料に限っても800冊を超えます。中でも、1920~30年代の本というのは目を引くもので、薄い紙質にシミ、そして製本の紐もほどけ、背表紙が取れて、と時代を感じさせる姿になっています。
 古い紀伊国屋の包装紙でカバーをされ、「Dec 2-1936、Cahiers d' Art、Picasso」とメモされた1冊があります。今にも崩れそうな本をそっと持ち上げ、表紙を開いてみるとフランスで出版された美術雑誌「カイエ ダール」、1935年のピカソ(1881-1973)の特集号でした。当時ピカソはすでに名声を得ていた頃で、1933~34年には闘牛を、1935年には牛頭人身の怪物ミノタウロスの作品を制作しはじめ、それらの最新作が掲載された雑誌を小川原は手に入れていたのです。
 今回は小川原のドローイング(素描)を紹介しますが、ギョロリと見開いた牛の目玉、長く太い角、対して人物は腹と臍へそが見える裸体で、大きな握りこぶし、そして頭はありません。ピカソの作品を下敷きにして、無数に制作されたドローイング。そこには最先端の絵画を学び研究し、自らのモチーフを手に入れるという強い思いがほとばしっています。

断層A

断層A

2020年11月
『断層A』 1937年 小川原 脩 画
 
 すっぱりと分かれた大地の裂け目。小川原脩はこのイメージに「断層」と名付けました。同じく小川原の作品で、写真と構想段階での素描だけが残る「貴婦人達」には、同様の風景が登場します。その印象はマックス・エルンストの「風景の対蹠点」(1936年)に大変似通っており、連想のスタート地点であると考えられます。
 このエルンストというシュルレアリスムの画家を積極的に日本に紹介した一人が、詩人で美術評論家の瀧口修造(1903-1979)です。瀧口と小川原は、東京府美術館での独立展の会場で出会い、新宿・武蔵野茶廊でのシュルレアリスムに関心を寄せる若者が集い語り合った場に同席していました。瀧口も小川原に好意的な関心を抱いていたようで、1937年の個展の際には「影響ということは、或る作家の修練時代にとって決して排すべきことではなく、この点で彼が狭隘な独創性を誇示しないだけでも推賞すべきである。しかし私がこの作家に切に望むことは、彼が彼固有の対象を発見することである。」と美術雑誌に寄せ、小川原の今後の成長に期待していたことが読み取れます。シュルレアリスムに深く傾倒した20代の小川原は、国内外の多くの芸術家たちとの出会いに導かれ、想像の翼を羽ばたかせていたのです。

※展覧会「世界へ向かう:シュルレアリスムと美術」では関連資料も豊富に紹介しています。この機会にぜひご覧ください。

植物園

植物園

2020年10月
『植物園』 1937年 小川原 脩 画
 
 今から83年前の昭和12年、10月1日から翌日まで、東京・銀座の資生堂ギャラリーで一つの個展が開かれました。当時、若い画家の個展は珍しいことで、ずいぶんと目立ったことでしょう。その画家とは、東京美術学校を出てまだ2年目、26歳の小川原脩でした。のちに本人も「怖いもの知らずで、今考えると冷や汗がでる」と振り返っています。明るいターコイズの空色が印象的な本作をはじめ、今では横浜美術館所蔵の「植物譜」「砂漠の花」、板橋区立美術館所蔵の「野の対話」など、この「植物園」シリーズがずらりと並んだ様子からは、ダリやエルンストといった海外のシュルレアリスム(超現実主義)に強く影響を受け、倣い、吸収し、そして実験的な制作を繰り返していたことがはっきりと見て取れたことでしょう。
 大きく伸びた花房と小さめの花房が左右に咲いています。太い茎にクルクルとした花弁の集まりはヒヤシンスの花房を思わせますが、描かれた植物は小川原の想像の産物で、一片一片が動き出し、ほぐれ、素肌を晒す小人の群れにも見えてきます。そうすると、ここは巨大植物の園で、小さな生き物たちが草の陰から大きな空を見上げている光景なのかもしれません。

灯台と犬

灯台と犬

2020年9月
『灯台と犬』 1976年 小川原 脩 画
 
 夜空とも雨雲ともつかない群青色が、地平線から天空まで塗り込められています。群れとなってこちらへと進んでくる黒い犬たちは、どこからやってきたのでしょう。視線を画面の奥へと向けると、離れたところに白い灯台と、うっすらと浮かびでる曲がりくねった土の道。縦116センチ、横91センチほどの画面ではありますが、そこに広がる原野は果てしなく続いているように感じられます。小川原脩が動物たちを通して、<個>と<群れ>というテーマを追求していた時期に描かれた作品のひとつです。
 現在開催中のしりべしミュージアムロード共同展(7/18~9/27)・西村計雄記念美術館(共和町)会場のテーマ「青のグラデーション」にあわせ、「青」が描かれた小川原作品を貸出中です。その大半は空として表現されたものですが、明るく晴れわたった日の深い青、雪雲がおおう淡い青などのほか、季節や天候だけではなく冷静さ、不安気なさまといったモチーフとの物語性をあらわすものまで、無数の「青」が存在していることに改めて気づくことになりました。

僧院の庭

僧院の庭

2020年8月
『僧院の庭』 1986年 小川原 脩 画

 1983年に小川原脩が旅したインド北部・ラダックは、チベットの文化が色濃く受け継がれる地方です。集落が僧院(ゴンパ)を中心に形成され、小川原もその建物群を多く描きました。この作品の目を引く部分には、黒が使われています。「黒」と言い表していますが、よく見ると、黒い絵の具はほぼ使われていません。さまざまな色が不思議と混じり合って「黒っぽい」色彩を見せています。
まずは手前の仔牛の足元に、一本の黒い水平線があります。すっと鋭い黒い影は、照り付ける日の強さを連想させます。かさかさと乾いた大地に照り付ける太陽が、画面の外に確かに在ること感じさせるのです。
 もう一つの黒い存在が、建物の内部を表している暗闇です。白い土壁の家屋の奥へと続く階段の先は、日光が遮られた深い闇の空間です。きっと中に足を踏み入れたなら、不気味なようでもありますが、次第に目が慣れほの暗く感じる頃にはそこに息づく人々の暮らしが醸し出す空気に包まれて安堵することでしょう。
 この作品は「しりべしミュージアムロード共同展」(7/18~9/27)の木田金次郎美術館(岩内町)会場に展示されています。テーマは「ひきたてる黒」、本作の他にも作品に黒が印象的に取り入れられている作品が勢ぞろいしています。

雷電

雷電

2020年7月
『雷電』 1965年 小川原 脩 画
 
 実際に見ると、たいへん目の粗いキャンバスに、絵の具がたっぷりと盛り付けられている、どっしりとした印象の作品です。岩山全体が濃い赤で表現され、画面全体にごつごつと盛り上がるような力強さを与えています。情熱的な濃い赤で表現された岩山とは対象的に、海と空は柔らかな色が使われています。
 画面右端には、雷電海岸の名勝「弁慶の刀掛岩」。小川原脩は岩内の「うきよ旅館」女将に頼まれ、雷電の風景画に取り組みます。岩内出身の画家・坂口清一氏の回想には、取材する小川原を案内したとあり、岩内町内の地理に詳しかったと振り返っています。当時すでに廃業していた「丁平藤田旅館」の辺りに差し掛かったときに「この辺りに藤田旅館があったはず」と小川原が話したのです。その旅館は旧制中学時代の友人宅でした。小川原の先代・政信が福井から移り住んだのも岩内で、縁があったこともあるのでしょう、制作と同年に岩内で個展をひらいています。
 赤く輝く岩肌は、夕刻の西日に照らされた姿でしょうか。しりべしミュージアムロード共同展(7/18~9/27)をめぐると、このような後志の美しい景観に出会えるかもしれません。

雛僧

雛僧

2020年6月
『雛僧』 1983年 小川原 脩 画
 
 「雛僧」は「すうそう」「こぞう」「ひなそう」といった読みがありますが、その意味はすべて「幼い僧侶」です。小川原脩は1981年から83年にかけてチベット自治区やインド最北部のラダックを訪れました。高い岩山の頂に張り付くように存在する白壁の寺院建造物、吹きさらしの風のなか、そこに佇む少年僧を目にし、強い印象を抱いたのです。この作品の三人はともに、歳の頃は10歳前後といったところでしょうか。親元を離れ僧院に暮らし、日々の行いすべてが修行という生活を送る少年たち。単純化された顔の描き方ではありますが、警戒心と好奇心がない交ぜになった複雑な表情が垣間見えます。
 僧衣の赤は、寒いチベットの地で暖かさを意味するほか、経典によって推奨された衣の色として継承されているようです。写真などではえんじであったり橙であったりさまざまですが、小川原の作品では温かみのある美しい朱赤で描かれています。また、赤の法衣は達磨大師にあやかった魔除け、病除けの「だるま」として日本の文化にも根付いています。
今年のミュージアムロード共同展(7/18~9/27)のテーマは「五館五色」。当館では「赤」に注目してご紹介する予定です。

風倒木

風倒木

2020年5月
『風倒木』 1955年 小川原 脩 画
(武内コレクション)
 
「折れ倒れ裂けて 私は地に伏し 地衣類は繁殖し 木喰い虫は はいまわる 白けきった肌をさらして 憎しみの想念が 杖のごとく横ぎる 去りし年九月のぐ風(*)よ」

 この散文は、1954年9月に発生した台風15号の風倒木被害を取材した小川原脩が、その胸中を色紙にしたためたものです。一見何をどう描いている絵なのか、想像もつかない作品ですが、この画家の言葉を添えてみると、なるほど円盤のようなものは土塊ごとなぎ倒された大木の根であり、引き千切られるように折れた幹なのです。白茶けたその枝には、もう生命力は感じられません。
 強烈な暴風による青函連絡船の遭難転覆事故から名付けられた「洞爺丸台風」は、岩内大火をも引き起こし、また北海道の広大な山林にも甚大な被害をもたらしました。翌年、小川原は営林署からこの風倒木被害を記録する要請を受け、層雲峡や網走管内置戸町などに赴きます。トドマツ、エゾマツといった針葉樹が根こそぎ倒れ、広大な森は痛々しい姿を見せていました。自然の脅威をまざまざと見せつける光景に胸中は穏やかではなかったはずですが、その手を動かし自分の仕事をし続けた小川原は、生粋の画家であったのでしょう。

(*) ぐ風…強烈な風、熱帯低気圧の旧称

西蔵の踊り

西蔵の踊り

2020年4月
『西蔵の踊り』 1981年 小川原 脩 画
 
 真っ白な仮面に大きなかぶり物、腕の倍はありそうな袖丈、きゅっとへさきの上がったブーツと、私たちには見慣れない装いをしています。長い袖を振り回すように腕を振り、左足をぐいと上げた踊りの一瞬を捉えた、愛嬌のあるポーズです。「西蔵」とはチベットのことで、小川原脩がチベットを旅した際に目にした寺院で行われる舞踏を描いています。大勢がひしめき合いながら祭りの様子を見守るスケッチ画も残されていますが、作品では踊り子一点に注視し、背景は一色に単純化しています。
 本作をはじめ、小川原は同じサイズ(約33cm×25cm)で、このチベットの踊りを数点制作しました。小ぶりな画面と大らかな筆の動きは素朴な愛らしさをたたえながらも、今にも動き出しそうな躍動感、祭りの解放感、そして祈りのエネルギーを発する作品となっています。1982~83年の個展の際に、これらの作品を手に入れた方々がいました。それぞれに作品に想いを寄せ、対話していたことでしょう。日々、励まされたり、癒されたり…。美術館には「持ち主」を経た作品も多数あり、そのたどってきたストーリーも魅力的です。いまや美術館所蔵となった作品は、町の皆さんが「持ち主」です。どうぞ想いを寄せてお付き合いいただけたらと思っています。