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【過去の記事】感動の場-点 2017/4~2018/3

まちの広報誌『広報くっちゃん』では、小川原脩作品の紹介ページ「感動の場 ー 点」を連載しています。

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2018年3月
『たくらみ』  1970年  小川原 脩 画

 次なる犬の登場は、1970年になってからである。「農民達」(1942年)以来、50年代、60年代には圧倒的に馬の作品が多い。その色彩も、濃厚な赤の画面から、1970年を境にして青色の世界へと変わる。
 本作品は、全体に青く染まった中、舞台の上で道化の衣装を着た二人の男が何かやりとりをしている。題名の「たくらみ」からすると、良くない事をこそこそと打ち合わせしている場面なのか。そして、白い犬が手前に顔をのぞかせている。見開かれた青い目、ピンと立てられた耳。全神経を集中して、真偽をたしかめるように向けられた視線は、とても人間味のある表情だ。
 これはなんとも奇妙な組み合わせ。この奇妙さが、見る人の心に様々なストーリーを抱かせる、面白い作品である。

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2018年2月
『農民達』  1942年  小川原 脩 画
 
 小川原脩は、犬を題材とした多くの絵を遺したが、最初 に犬が登場する作品は「大北海道」(1941 年・道立近代美術館蔵)である。次いで1942年の「農民達」にも犬が描かれる。
 右から左へと歩みを進める農婦と馬。農婦たちの足元は 半分ほど白い雪に埋もれて、雪原を歩いているのだと分かる。馬の手綱を引きながら、後ろを振り返る中央の女性だ けが顔を見ることができるが、風除けの頭巾で表情は読み 取れない。前掛けははためき、向かい風の中を進む。犬はどこか。農婦のひとりの足元の奥に、少年に力いっぱい引っ張られながらも、四肢を踏ん張る一匹の犬がいる。
 時代は太平洋戦争のさなか、小川原は 1941 年に召集令状を受け旧満州へと出征し、翌42年には戦地で病にかかり送還されている。シュルレアリスムの表現に没頭していた小川原だったが、戦地からの帰還後、中世ヨーロッパを模 倣した平面的な作品へと変容し、周囲が驚いたという。皆が一様に同じ方向へと流れる世相のなか、進むことを拒む 犬にどのような想いを託したのだろうか。

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2018年1月
『早春』  1977年  小川原 脩 画
 
 遠くの山々から流れ来る川はいかにも冷たい水を湛えているようで、ひんやりとした空気に包まれながらも、大地はうっすらと温もりを持ち始める、そんな早春の気配を感じさせる。雪が融けて、まっさきに顔を出したフキノトウ。それを見つけた犬たちは、嬉しくて仕方がない様子で睦まじく身を寄せ合う。長い冬を越えてやってきた春の訪れへの喜びに呼応して、山頂の残雪も白く輝いている。
 雪深い倶知安の冬は、これから本番を迎える。しかし必ず季節は移ろい春がやってくる。ならば、この冬を、この雪の美しさを目いっぱい感じながら日々過ごそうと、私にとってそう思わせてくれる作品である。

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2017年12月
『鴉と壺』  1989年  小川原 脩 画
 
 小川原脩が描いた動物は「馬・犬・おおはくちょう」に代表されるが、実はカラスも、白鳥と並ぶほど多くの作品に登場している。カラスは1940年代のシュルレアリスムの作品群にも登場しているが、頻繁に描かれるようになったのは1986年、75歳でインドを訪れて以降である。彼がインドで見たカラスは、私たちが日頃見ている種類とは少し違った特徴のある、首のあたりが白っぽいカラスだった。
 そのカラスが一羽、大きな丸い壺に留まっている。インドではガンジス河は聖なる河であり、その聖なる水を入れるための壺だそうだ。小川原はガンジス上流のハリドワールやリシケシュを訪れ、直径が50センチ以上もある球体の素焼きの壺が売られているのを見て、ひどく心に残ったと記している。
 口の細い壺がふたつ、球の大壺がひとつ、顔の向きや足の角度に、微妙な違いのあるカラスが3羽。それぞれの形は単純化され、古代エジプトの絵文字、はたまた音符の様でもある。音楽家であったなら、この6つの音符で、旋律が出来上がるのかもしれない。

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2017年11月
『白い樹』  1991年  小川原 脩 画
 
 小川原脩が晩年になって数点描いた「入口の白い樹」。二股に分かれた白い木の肌が、艶めかしさを持った不思議な作品だ。また、1978 ~ 79 年には同じく樹と動物との組み合わせの「森の入り口の白い樹」シリーズも手がけており、森を人為の及ばない空間として畏れ敬うシンボルとして白い樹を描いている。
 小さな作品だが、画面中央辺りの背景が一段と沈んだ色になっており、奥へと続く森を予感させる。二股のところに、シマリスが控えめに留まっているのが印象的だ。冬支度に追われるリスが、その忙しない動きを止め、葉をすべて落とした白樺に寄り添って休息している。着々と進む季節の中、時が止まったかのような晩秋のワンシーン。この「白い樹」は小さないのちを包み込み「抱っこ」するような姿と、穏やかな色合いが相まって、見ているうちにほっこりとした気分になる。

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2017年10月
『遡上』  1970年頃  小川原 脩 画
 
 秋になると、尻別川にも産卵のためにサケが遡上する。北海道各地の風物詩ともいえるだろう。その先で命を繋ぎ一生を終える遡上の旅は、当然の営みとは分かっていても、どこか切なさを持って見てしまう。そんなサケの姿を、小川原脩も作品にしている。
 小川原は、その光景を淡々と見つめながらも、力強いものと捉えていたことが、大きな目と口、赤みを帯びた体の色、水中で力強く尾鰭を振るい、上流へと泳ぐサケの姿から感じ取れる。川底に沈んだものか、川岸の光景を写したものかは分からないが、大きなフキの葉がともに描かれている。フキと体全体を覆う緑は眩しいほどに、また川面の赤も夕日のように鮮やかである。サケが最後に泳ぐ、秋の川は、こういった色彩に包まれているのかもしれない。

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2017年9月
『緑の中の犬』  1972年  小川原 脩 画
 
 この作品、小川原脩はとてもユニークな描き方をしている。まずキャンバス全体に黄緑色が塗られ、その上に赤茶色が一面に重なる。そしてまた黄緑色で犬の形に縁取りが描かれているのである。輪郭のほかは、目鼻口と耳が淡く描きこまれているだけで、二色で大胆に表現されている。犬の体のラインを示す境界線は、迷いなく絵の具が乗せられ、くっきりと形が浮かび上がる。初めに見た時、このような作品は小川原には珍しいな、と思った。しかしいったん気がつくと、そのような方法が何点かの作品に見られることがわかってきた。70年におよぶ長い画業において、挑戦と変化を続けてきた中、こういった表現も試みたのだろう。
 犬は、動物を多く描いた小川原の作品のなかでも主要なモチーフのひとつ。シンプルに描いた中にも、凛々しく上をむく犬の姿に加え、まるで緑色の炎が犬を取り巻いているようにも見え、力強さを感じる作品である。

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2017年8月
『老人と犬』  1981年  小川原 脩 画
 
 夏の夕涼み、花火、晩酌…夜の時間の過ごし方が楽しくなる季節。夜の光景の作品を探してみた。犬の群れが、夕闇のなかを飛ぶように駆け巡る。老人の脳裏にうかぶ光景なのだろうか。
 見事な白髪の髭をたくわえた、老人がひとり、思いにふけるようにうつむいて座っている。大ぶりな逞しい掌が印象に残る。この風貌の人物にはモデルがいると言われているが、特定の人物を超えた、あらゆる人が持ち合わせている感情、それは懐かしむ思いや、愛情、後悔などが滲み出て、深く過去を思い返す時間を感じさせる。
 人生という、その人にしかない物語。創作することへの希望と野心、そして暗転、迷走、呪縛と解放…「画家」という仕事に一生涯をかけた小川原脩のものがたりはとてもドラマチックである。この作品に描かれているのは、物語の終盤、老いた哀しみ、という単純な言葉で言い表せるものではないと思う。70歳の小川原は、この作品に、言葉にならない時の流れを込めたのだろう。

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2017年7月
『親子馬』  1980年  小川原 脩 画
 
 馬は、小川原脩の主要なテーマのひとつである。1940年代は農民達とともに無表情で歩む姿、60年代には正面から見た顔だけがこちらに向かってくる群れを、また70年代には風雪にもがき耐える様子を描いている。ひとりの作家が描いたものなのだろうかと驚いてしまうほど、それらの作品から受ける印象はさまざまである。
 本作は1980年、小川原が79歳の時のもので、これまでとは違う馬の姿が登場する。まばゆい緑の草原に、寄り添って立つ母馬と仔馬。優しい陽光が二頭を包み込み、温かく静かな時間が流れている。晩年の温かな眼差しで描かれた作品からは、目を細めて親子馬を見守る画家の姿が思い浮かぶ。
 童謡「おうま」を思わせる、ほのぼのとした絵本の一頁に出てきそうな場面。あなたならどのようなストーリーが浮かんでくるだろう。親子でおしゃべりを楽しみながら見てほしい1点である。

静物

静物

2017年6月
『静物』  1935年頃  小川原 脩 画
 
 果実が主題となっている静物画で、大きく皺のよった固い包み紙の上、南瓜、桃、スモモ、そしてリンゴが、無造作に置かれた様子を描かれている。桃はさらに白い紙に載せられ特別な存在感を醸し出し、スモモのいくつかは机上に転がりでていて、机の奥から手前にかけての配置にリズムが加わって面白い。
 1935年は、小川原脩が東京美術学校を卒業した年であるが、その前後、アカデミックな美校カラーからの脱却と自らの進む方向性を求めて、創作上の苦悩を抱えていた。つまり自分の仕事として「何を描くか」を模索しはじめたのだ。今に残る当時の作品では、卒業制作のための習作「裸婦」などがあり、若い画家の確かな描写力が発揮されているように思うが、小川原本人は暗い色調の作品が続いた時期であったと振り返っている。この作品もまた、迷いの中で描かれた一点である。

静物

静物

2017年5月
『静物』  1933年頃  小川原 脩 画
 
 小川原脩が東京美術学校時代に描いた油彩画のうち、現存するものは20点あまり。その中には裸婦像や静物画が数点ずつ含まれる。「静物画」という言葉を西洋美術辞典で引いてみると「花、くだもの、楽器、本、うつわなど、それ自体としては動かないものを描いた絵のこと」と載っている。
 壺、甕、皿といったさまざまな陶器、ガラスの瓶、スプーンの軽い金属質と、かげに隠れた鉄瓶の質感。そして木のテーブルに、布きれ。奥にはイーゼルに立てかけられたキャンバスであろうものが見えている。ひとつの絵にこれだけの種類の質感を詰め込んで、修練を積んだのだろう。美校生の貪欲な探究心と吸収しようとする意欲の現れなのか。滑らかで変化に富んだ形を野太い線で力強くとらえ、光の反射を白い絵の具で大胆に描写している。
 作品の中で、ひときわ私の目を奪うのは、テーブルに敷かれた白い布である。先月紹介した「納屋」(1933年)の男性のシャツを彷彿とさせる。目に映る白色に含まれる鮮やかなブルー、それを描かずにはいられない若者の爽やかさを感じるのである。

納屋

納屋

2017年4月
『納屋』  1933年  小川原 脩 画
 
 東京美術学校時代の秀作「納屋」は、紛れもなく小川原の代表作のひとつである。美校4年の時に、第14回帝展に学生ながらに入選という快挙を成し遂げたこの作品は、夏季休暇で倶知安に帰省した小川原青年が、駅前通りの石造り倉庫の中で働く親戚の男性をモデルに描かれた。野太い線に濃厚な絵肌、がっしりと構えた男の腕に、働く人間のリアリティがある。
 制作から約80年、経年劣化による損傷が激しく、2014年4月の展示を最後に収蔵庫で慎重に保管されていたが、昨年待望の修復が行われた。キャンバス生地が薄く、そこに厚く重ねられた絵の具の重みが加わって、画面下部を中心に大きく亀裂、そして絵の具の剥離も多数あり、動かすのも危うい状態だった。専用の接着剤で表面を仮固定して東京の修復家のもとへ空輸、弱ったキャンバスを補強する裏打が行われ、続いて洗浄・充填・補彩、木枠の補強も施され、12月に美術館へ戻ってきた。
 修復中に発見もあった。裏面の油染みと表面の亀裂が一致しない、絵の具の塗りが厚すぎるなど不自然な点はもともと見受けられたが、画面右下にサインの痕跡が見つかった。今の「納屋」の下には、もう一枚、小川原青年が塗りつぶした謎の絵が秘められているのである。