北海道遺産「スキーとニセコ連峰」

昆布岳から望むニセコ連峰(右端がニセコアンヌプリ)
(平成16年11月12日認定)
ニセコ連峰は、倶知安町側のニセコアンヌプリ(1,308m)から日本海の岩内町側にある雷電岳(1,211m)に至る全長約25kmに及び、1,000m級の山々が連なります。
積丹、小樽方面を含め、山と水と海岸の変化に富んだ景観から、ニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されています。その主峰・ニセコアンヌプリには3カ所のスキー場があり、年間約70万人のスキーヤー・スノーボーダーが訪れます。
中でも道内有数の規模を誇るニセコ・グランヒラフスキー場は全国屈指の人気スキー場で、アンヌプリ全体の年間スキー客の約7割を占めます。雄大な自然と上質のパウダースノーから、スキーヤー・スノーボーダーからは「スキーの聖地」と言われるあこがれの地・ニセコ連峰。海外からも注目され始め、世界に発信する「ニセコ」へと生まれ変わろうとしています。
積丹、小樽方面を含め、山と水と海岸の変化に富んだ景観から、ニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されています。その主峰・ニセコアンヌプリには3カ所のスキー場があり、年間約70万人のスキーヤー・スノーボーダーが訪れます。
中でも道内有数の規模を誇るニセコ・グランヒラフスキー場は全国屈指の人気スキー場で、アンヌプリ全体の年間スキー客の約7割を占めます。雄大な自然と上質のパウダースノーから、スキーヤー・スノーボーダーからは「スキーの聖地」と言われるあこがれの地・ニセコ連峰。海外からも注目され始め、世界に発信する「ニセコ」へと生まれ変わろうとしています。
東洋のサンモリッツ
ニセコ連峰とスキーとのかかわりは戦前の昭和初期、山岳スキーから始まりました。
倶知安町百年史・中巻では「観光とスキーの夜明け」として、「スポーツの宮様」と呼ばれた秩父宮殿下が昭和3年、道内視察の後、ニセコアンヌプリ、チセヌプリでスキー登山を楽しまれたことを冒頭で紹介しています。
折りしも同じ年、日本のスキー選手が冬季五輪に初めて出場したスイス・サンモリッツ(倶知安町の姉妹都市)大会が開催されたこともあり、同殿下のスキー行について、当時の新聞は「極東のサンモリッツに/最後の御思出/霊泉に恵まれた好スロープ/御滞在は三日間」との見出しで報道。
スポーツの宮様のニセコ・スキー行、日本のスキー選手が初出場したサンモリッツ冬季五輪のあったこの年が「ニセコとスキー」を世に広め、雪国・北海道も「スキー熱が異常に高まった」(町百年史・中巻)年となりました。
倶知安町百年史・中巻では「観光とスキーの夜明け」として、「スポーツの宮様」と呼ばれた秩父宮殿下が昭和3年、道内視察の後、ニセコアンヌプリ、チセヌプリでスキー登山を楽しまれたことを冒頭で紹介しています。
折りしも同じ年、日本のスキー選手が冬季五輪に初めて出場したスイス・サンモリッツ(倶知安町の姉妹都市)大会が開催されたこともあり、同殿下のスキー行について、当時の新聞は「極東のサンモリッツに/最後の御思出/霊泉に恵まれた好スロープ/御滞在は三日間」との見出しで報道。
スポーツの宮様のニセコ・スキー行、日本のスキー選手が初出場したサンモリッツ冬季五輪のあったこの年が「ニセコとスキー」を世に広め、雪国・北海道も「スキー熱が異常に高まった」(町百年史・中巻)年となりました。
「聖地」へ、確かな地歩

ニセコひらふスキー場(現ニセコ・グランヒラフスキー場)初のスキーリフト完成(昭和36年)
転換点を迎えたのは戦後に入ってからでした。昭和37年、ひらふスキー場を会場に開催された第40回全日本スキー選手権大会アルペン競技会開催が、その後のスキー場開発を急速に進めました。「ひらふスキー場」という名称もこのころから使われ始めました。
ただ、スキーリフトがありませんでした。当時、町内に工場、工場用リフトの建設を計画していた日東商船(のちの商船三井)の協力を取り付け、それとは別にスキーリフト建設が大会前年に決定。全長日本一の1,070mのリフトが同12月完成しました。
以降、昭和45年、昭和61年と2回のスキー国体会場となったほか、全国・全道級の大会を何度となく開催。「スキーヤーの聖地」としての地歩を固めていきました。
ただ、スキーリフトがありませんでした。当時、町内に工場、工場用リフトの建設を計画していた日東商船(のちの商船三井)の協力を取り付け、それとは別にスキーリフト建設が大会前年に決定。全長日本一の1,070mのリフトが同12月完成しました。
以降、昭和45年、昭和61年と2回のスキー国体会場となったほか、全国・全道級の大会を何度となく開催。「スキーヤーの聖地」としての地歩を固めていきました。
「世界のニセコ」へ

近年では、オーストラリアを中心とした外国人観光客が「ニセコの冬」に注目しています。とりわけ、豪州からは平成14年度、約4,500人だったものが同16年度には約4万5千人(ともに宿泊延べ人数)と10倍に急増しています。
ニセコアンヌプリにあるスキー場を平成16年買収した豪州人経営者はニセコに着目した理由について、
(1)雪質の良さ
(2)(豪州から行くと)時差がほとんどない
(3)山の高さが低い(スキー場と飲食・宿泊・居住地域が近接している)
―などの利点を挙げ、「国際的なスキーリゾートとして、可能性は限りなくある」と指摘。「日本のニセコ」から「世界のニセコ」へと変ぼうを遂げつつあります。
夏の尻別川でのラフティングに代表されるように、四季を通じ、人々が自然の恵みを生かし、楽しむ姿が、ここにあります。
ニセコアンヌプリにあるスキー場を平成16年買収した豪州人経営者はニセコに着目した理由について、
(1)雪質の良さ
(2)(豪州から行くと)時差がほとんどない
(3)山の高さが低い(スキー場と飲食・宿泊・居住地域が近接している)
―などの利点を挙げ、「国際的なスキーリゾートとして、可能性は限りなくある」と指摘。「日本のニセコ」から「世界のニセコ」へと変ぼうを遂げつつあります。
夏の尻別川でのラフティングに代表されるように、四季を通じ、人々が自然の恵みを生かし、楽しむ姿が、ここにあります。