近代化産業遺産

Herritage of Industrial Modernization
=イワオヌプリ硫黄鉱山=

経済産業省「近代化産業遺産群続33『6.先人のベンチャー・スピリットが花開き多岐に発展した化学工業の歩みを物語る近代化産業遺産群』」の一つとして選ばれました。

特徴
1.北海道での硫黄採掘跡地としては羅臼が著名であるが、それ以外にもあるということを示している。
2.硫黄鉱石の精錬方法として、北海道で初めて蒸気精錬を用いたこと。
3.当時の地形、精錬釜の跡や索道跡が今に残されていること。
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【概要】
イワオヌプリ(標高1,116km)の北側に、明治から昭和初期にかけて栄えていた硫黄鉱山跡があります。最盛期には200人近い人々が生活をしていたと言われていますが、昭和12年に閉山し、現在は当時の面影はなく、当時精錬所の床に使われていた耐火レンガが散乱するのみ。ニセコ山系を楽しむ登山者の通過場所になっています。
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【歴史~背景~】
明治前期、マッチや石鹸等生活必需品を製造するための化学工業が民間主導で盛んになり、特にマッチは重要な輸出産業へと成長しました。同時にマッチの原料である硫黄の需用が増大し、全国各地で硫黄鉱山が開発されました。そのうちの一つがイワオヌプリ硫黄鉱山です。
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【歴史~イワオヌプリ鉱山のあゆみ~】
この地方での鉱山の開発が始まったのは江戸時代にさかのぼりますが、本格的に硫黄の採掘が始まったのは明治に入ってからです。明治初年に経営を始めたのは函館の泉藤兵衛氏、村田駒吉氏でしたが、不振に陥り、明治19年、三井物産株式会社に経営が譲渡されました。三井財閥により電気精錬等の近代技術が導入され、北海道での蒸気精錬が初めて行われました。 大正8年には倶知安駅裏から鉱山までの索道が整備され、鉱物や生活物資の運搬、人々の往来が頻繁に行われるようになりました。
最盛期には200人近い人々が生活し、学校や診療所、食堂や社宅などが立ち並んだといいます。雪の多いニセコ山系の奥地でどうやって暮らしていたのでしょうか。未だ謎が多いままです。
昭和12年硫黄鉱山閉山。現在に至る。