写真(昭和)
昭和~戦争そして復興

【役場屋根にたてられた防空監視哨】
昭和20年の北海道空襲では倶知安もB29の飛行経路となり町には不気味なサイレンが鳴り響いた。
昭和20年の北海道空襲では倶知安もB29の飛行経路となり町には不気味なサイレンが鳴り響いた。

【出征兵士を送る実科女学生】
太平洋戦争が始まると倶知安にも徴兵所が開設され多くの兵士を送り出した。
太平洋戦争が始まると倶知安にも徴兵所が開設され多くの兵士を送り出した。

【出初式の梯子乗り】
倶知安は2度の大火(明治41年159戸全焼、昭和7年65戸全焼)に見舞われた。
倶知安は2度の大火(明治41年159戸全焼、昭和7年65戸全焼)に見舞われた。

【冬山造材に集まった農耕馬】

【手狩りの燕麦(えんばく)収穫(昭和30年代)】

【新制倶知安中学校】
太平洋戦争が終わり戦後教育制度がスタートすると新制中学校を確保するため校舎の新築・改築が行われた。
太平洋戦争が終わり戦後教育制度がスタートすると新制中学校を確保するため校舎の新築・改築が行われた。

【デンプン工場の原料受入れ】

【第1回産業観光まつり】
昭和38年「新しい町づくりをみなさんとともに」をテーマに第1回産業観光まつりが開催された。その後「羊蹄火まつり」「じゃが祭り」「ポテトフェスティバル」と名を変え現在に引き継がれる。
昭和38年「新しい町づくりをみなさんとともに」をテーマに第1回産業観光まつりが開催された。その後「羊蹄火まつり」「じゃが祭り」「ポテトフェスティバル」と名を変え現在に引き継がれる。