【過去の記事】感動の場-点 2016/4~2017/3

まちの広報誌『広報くっちゃん』では、小川原脩作品の紹介ページ「感動の場 ー 点」を連載しています。
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2017年3月
『チベット讃歌B』  1982年  小川原 脩 画
 
 この冬は雪が少なかった。桃の節句から春分へと暦はすすみ、日に日に強くなる陽光は、例年より少々薄っぺらな雪原を照らし、木々には新しい芽吹きを招く。
「チベット讃歌B」は、小川原脩がチベットの中心都市・ラサを訪れた際の印象を描いた作品のひとつ。温かな陽光を思わせる、円い太陽が天辺に浮かぶ。チベット全土から家族ぐるみでやってくる巡礼者の男女の姿を中心として、下には大地に伏して祈りを捧げる五体投地礼の姿、そして左右両側からは牛、ヤギ、犬といった動物たちがこの夫婦を興味ありげに覗き込む。巡礼者の男性の手は女性の手を包もうと開かれ、きっとこの後、ぎゅっと握るのだろう。
 明るく太陽が輝き、温かな橙色の空間に包まれ、動物たちや祈りを捧げる女性によって囲まれた巡礼者のふたり。これは小川原が讃えたチベットの有り様で、幼い頃の故郷、原風景と重なるものだった。
 この春、新しい環境へと巣立つ人も、また送り出す人にも、心のどこかに、幾重にも温かなものに包まれていた日々を大切に覚えていてほしいと願う。

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 2017年2月
『雪の中の犬』 1973年  小川原 脩 画
 
 小川原脩の著述文「白 冬の中の思考から」(北海道新聞・1975年)は「小降りの雪もやんだので、小高い丘を上がっていった。あちこちに身の振りかたを決めかねているように笹や枯れ草がつっ立っている。足跡の絶えた小道を曲がりくねり、若い落葉樹林の中へ入っていく…」という一節からはじまる。そのような情景の中で、ここに描かれた野良犬との遭遇があったようだ。
 「とにかく動物を描くのは楽しいし、自由にやれますから」、その結果が、小川原の描く動物たちの豊かな表情に現れている。1973年に雪原・枯草・犬のモチーフで描いた作品は、この時の小川原にとってなにか心に留まる組合せだったのだろう、数えてみると当館に7点もあった。雪の斜面を駆けおりる伸びやかな姿、どっしりと座り込み飄々とした顔のもの、埋もれた挙句に吠え立てるもの、手足を埋めながらも渋い表情で歩み続けるものなど、それぞれの顔を見せている。そしてこの犬は、雪に埋もれ足が抜けず、ちょっと困った顔をしている。この季節、どこにでもありそうな、枯草が突き出した雪原。今、野良犬に出会うことはないだろうが、ふと身近にある光景のように感じる。

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2017年1月
『鶏』  1979年  小川原 脩 画
 
 今年の干支は酉、小川原脩が描いた鶏の一点を紹介しよう。
 この絵には、把手つきの大きな瓶がひとつ、その左に鶏が一羽、そして右手には二羽見えている。それだけである。しかし、背景の濃淡は家と家の間を思わせるし、無造作に置かれた瓶の間を自由に歩き回る数羽の鶏の姿からは、どこかの街角の、雑然とした生活の場を感じさせる。この作品の舞台は、1979年に小川原が旅をした中国・桂林。ここから、彼のアジア歴訪がはじまる。
 ある画家は「絵の中に生き物を入れると、絵の表情が生きてくる。鳥一羽だけでも、自然の姿が表出される」と話していた。小川原の作品にもまた、たくさんの動物たちが登場し、命の、自然のリズムが刻まれている。
 

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 2016年12月
『山鳩』  1987年  小川原 脩 画

  空の青、雪山の白、そして大地の茶。タイトルのとおり山鳩が飛んでいるが、空を飛ぶのではなく、大地と同化している。茶と白の間には、鮮やかな朱色があり、どこか暗く無機質な大地の内側からの滲み出るようなエネルギーを思わせる。丘の上には木立がならび、時折、森から響く自然の中の音を拾い上げて音符にしたような、静寂とのバランスが心地よいリズムを刻んでいる。
 このモチーフの始まりとなった作品「巓(てん)」は1981年に描かれた。巓とは山のてっぺん、頂きのことを指す。私たち倶知安に暮らす人間からすると、この山容は明らかにニセコアンヌプリだと受け止めると思う。しかし、画家本人は「どこの山かは関係がない」と語っている。ひと際白く輝く山頂は、小川原の精神の高さへの憧憬そのものであり、白い頂点は山である必要はないのである。この作品についても1987年、最初の「巓」から6年後に描かれているが、その間、時に山はチベットの寺院に姿を変え、この青と白と茶のコントラストは続いてゆく。良く似ているが、まったく同じものは一つとしてない。どこか変化をつけながら繰り返し描く。さらに同じモチーフで最後に描かれたのは1997年。山鳩はキタギツネに姿を変え、より明るい色彩へと変化している。

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2016年11月
『雪の中の馬』  1973年  小川原 脩 画

  馬の絵」というとき、多くの人は馬のからだ全体を横から見た姿をイメージすると思う。しかし、小川原脩の描く馬は、向きも形もさまざまである。正面を向いた、顔だけ。横を向いた、顔だけ。さらにはずんぐりとした胴体がほとんどで、顔は逆さま。「これは『カバ』ですよね。」と問われることもしばしばである。この作品も、赤茶色の大きなかたまりとして、馬の体を中心に、後姿が描かれている。林の中、脚が埋まるほどの雪で行くことも戻ることもできずに、耳を伏せ視線を向ける一頭の馬の姿だ。
 小川原脩が描く馬はサラブレッドではない。そのほとんどは農耕馬である。ここ倶知安でも、かつては人と共に暮らし、プラウを曳き、農業の主戦力として活躍していた。それも1950年代の終わり頃にはすっかり機械に置き換わった。日常で馬を間近に見ることも無くなった今、小川原の描く馬の肉感だけが真に迫ってくる。
絵の具の掠れたところからは、下に重なった色が見え隠れする。強い風が吹きつけ舞い上がる雪とその合間から見える木立の光景が、実感をもって目の前に再現される。冬の風音が聞こえるようだ。

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2016年10月
『無題』  1975年  小川原 脩 画

 どんよりとした鈍色の秋空、ひと雨ごとに寒くなる季節である。青く縁取られた家々の屋根は、小川原脩が暮らした、そして今私たちが暮らす倶知安の街並みだろう。すっと地平に線が引かれ、手前には犬が一匹、寝そべっている。
 1970年代の中頃、この時代の作品には、犬がよく登場する。無数の犬が群れとなり、怒りや悲しみ、諦めなどの表情を見せる作品が多いのだが、それに比べ、この犬の表情はどうだろう。全身から力が抜けた格好と相まって、元気がないのか心配になるが、どこかおどけた様子もある。

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2016年9月
『礼拝』  1982年  小川原 脩 画

 初秋の彩りを見せる季節に開催される麓彩会展。1958年に小川原脩、野本醇、穂井田日出麿らがはじめ、年に一度倶知安町公民館に作品を持ち寄り、展覧会を開いてきた。2000年からは小川原脩記念美術館が会場となった。倶知安、羊蹄山麓、そして後志に地縁のある作家たちが、おのおのの創作をひたすらに追い求める姿勢を貫いている。
 この縦22.0cm、横27.3cmという小振りな作品には、チベットの装束を着た女性がひとり、道端の石に腰を下ろし、手を合わせる姿が描かれている。素朴な色づかいは、祈りを捧げる小さな空間に、柔らかな空気を漂わせている。小川原脩は1981年、初めてのチベット行の帰路において「清澄であること」にしみじみと思い至ったという。翌82年の2度目の訪問以降も、チベットで見た人々の信仰に生きる姿は小川原の主題のひとつとなり、描き続けた。

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2016年8月
『静物』  1955年頃  小川原 脩 画

 8月になると桃の果実が旬を迎える。晩年、小川原脩はこの季節に自宅に届けられる白桃を楽しみしていたという。「桃」が登場する作品は、彼が旧制中学4年生、17歳のころの記録が残っているので、相当初期の頃から描いていた題材と言える。学生時代の油彩画から1960年代の色紙絵にいたるまで、そのときどきの描き方で、果実の姿かたちを捉えている。
 この作品には、赤く熟れた桃が2つ。白いカップがひとつ。茶色のテーブルに置かれている。背景は、水色の天井と壁、そして深い緑色の床の部屋。テーブルも立体感を排した表現で、カップの陰影や輪郭を見ても、ここまで「平面」を意識して描いているのは、この作品だけである。
 カタチに注目すると、四角と四角の重なりの中に円が3つ。モノの配置が作り出す静かな世界に、かすかに、絃を爪弾くような緊張感ある音が聞こえてくる気がする。

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2016年7月
『ゴンパと牛』 1986年  小川原 脩 画

 ラダックという所をご存じだろうか。インド北部のジャンムー・カシミール州に属し、ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に囲まれた平均標高3500mの山岳地帯。チベット仏教文化が色濃く残る「西チベット」と呼ばれる地域である。空気は薄く、岩肌がむき出しの大地はよく月面に例えられる。万年雪の山々から流れ来る川、谷筋に集落が点在し、夏には川沿いに緑が生い茂る。代わって冬は、マイナス20度まで下がる厳しい気候、峠を越える陸路は使えず、閉ざされた世界となる。
小川原が訪れた1983年、人々は信仰心に篤く、ヤク、ヒツジ、そして牛といった家畜と共に、農耕をして素朴に暮らしていた。集落の小高い丘にはチベット仏教のゴンパ(僧院)、そして無数のチョルテン(仏塔)が建ち、石を積んで作られたカルカ(家畜囲い)があった。
 1981年、82年に中国チベット自治区を訪れた小川原であったが、人々の祈りの姿に圧倒される一方、外国人の入国が増え、文化大革命の影響もあり、観光地化した都市の姿に落胆もしていた。その翌年、チベット仏教文化の原型を求めて、ラダックへと向かう。空と太陽、白い僧院と家畜囲い、仏塔と子牛。この作品は、小川原脩のラダックそのものなのだろう。

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2016年6月
『馬と人と犬と』 1975年  小川原 脩 画

 馬の大きな体が画面いっぱいに、いや、脚や尾、たてがみは完全に画面をはみ出して描かれている。首、腹、臀部はなめらかな曲線。脚は蹴り上げた蹄だけが見え、頭を振り下げたその横顔は歯をむき出しにして食いしばり、力の限り後ろ足を跳ね上げる格好となっている。
 この激しい動きの馬に跨る人がいる。表情や衣服は描かれずシルエットのみ、年齢や性別といったものは見えてこない。ただ純粋に人という存在である。荒々しい馬を力で抑えることも、必死にしがみつくこともせず、自然と力を抜いてその身を任せているように見える。
 犬 2 匹の流れるように大地を駆ける姿も加わり、しなやかな肉体と軽快な動きが際立つ。余分な描き込みを最小限までそぎ落とした馬、人、犬。それぞれの緊張と弛緩のバランスが躍動感を感じさせる。1975 年、小川原脩 64 歳の頃の作品である。

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2016年5月
『濃霧地帯』 1971年  小川原 脩 画

 5月。街中では雪解けも終わり、リラ冷えとは言いつつもほどなく訪れる初夏の気配に、心はずむ季節である。ところが、山へ目を向けると高い所にはまだ残雪がたっぷりある。山行を楽しむ人や、車で峠越えをする人は、この残雪によって発生する濃霧に出くわした経験があるかもしれない。目の前は真っ白、数メートル先の物を確認するのがやっと。前後左右、自分の進む方向やスピードも見失う。大変危険な状況である。
 小川原脩が描いた濃霧の世界では、馬が一頭、顔も上げずに進んでゆく。頑丈な体躯にぴったりと首を添わせ、大きな塊となって強風にも耐えているようだ。かろうじて前足を一歩踏み出すが、後ろ足は踏ん張ったまま、ゆっくりと、それでも前へ進んでゆく。馬と一緒に描かれているのは、3本の樹木である。この姿もまた、長い年月の風雪に耐えて曲がりくねった枝、いまだ芽吹きすら迎えていない山奥の遅い春を思わせる。
 濃霧イコール白の世界という既成概念を飛び越え、この作品の画面にははっきりとした青、赤、黄が大きく使われている。しかし、所々に使われた透明感のある水色が、まるで馬と木々が濃霧に溶け込んでゆくようだ。不思議な臨場感に見る者を引き込む作品である。

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2016年4月
『無題』 1971年  小川原 脩 画

 春の訪れとともに、倶知安にも白鳥が飛来する。
 小川原脩は、あらゆる年代において馬・犬・大白鳥といった動物を描いており、大白鳥は実に多様なポーズを写しとっている。それぞれが自由に振る舞う白鳥たちが画面いっぱいに群れをなすものあれば、一羽だけの白鳥を描いたものもある。一羽であれば、長い首をくるりと曲げているもの、片足で静かに佇むもの、大きな翼を広げたもの、この作品のように羽毛に顔をうずめているもの、さまざまである。
 白い羽毛は鮮やかな色が散りばめられ、結晶やきらめく雪原を思わせる。雪そのものは無色透明だが、降り積もり、たくさんの色の光線を反射して我々の目に入り白という色に見える。その色彩の根本を捉えたかのようだ。長い首を後ろに向け背に載せてうずくまり、折りたたまれた翼、足までも器用に折りたたんで隠している。白いかたまりとなった体から飛び出した羽の先端は繊細で、こちらは柔らかな触り心地さえ感じさせる。画面の下地には明るい黄緑色が塗り込まれ、塗りのこされた部分が大白鳥の輪郭として見えている。背景はパステルカラーのピンクとブルー。小川原流の色あそびと言っても良いだろう。